こんにちは!
小町です。
村田沙耶香さん「消滅世界」です。
以前も別の作品を取り上げましたが、やはりこの方の小説は実験ですね。
私たちが生きている現実とは違う「当たり前」の世界を描くことで、信じるものや正しいと思うものを懐疑的に見る機会を与えようとしています。
あらすじ
人工授精で子どもを産むことが定着した世界で、両親が愛し合って生まれた主人公の雨音。家族間の性行為はタブーであり、恋愛や家族の在り方も変わっていく中、実験都市「楽園」に移住したことで、世界の変化は加速していく。
「○○離れ」は人間の進化か
「結婚・出産したら異性として見てもらえなくなった」
という夫婦はたまに見聞きしますが、
最初から「夫婦=家族」という発想で考えてみるのはどうでしょうか。
結婚して人生のパートナーになることに変わりはないですが、近親相姦に当たるので家族と性行為することはなく、あくまで家族という社会単位になる。夫婦は恋愛対象ではないので、別に恋人がいてもよく、あくまで夫婦と恋愛は切り離して考えられます。
それが当たり前になった世界がこの小説です。
恋愛に関しても、二次元への恋は異常なことではなく、むしろ恋愛感情や欲求を消費するためコンテンツとして推奨されています。
正直、私たちの現実でも「恋愛」「性欲処理」「結婚」「出産」に面倒と感じることがありますし、そういった面倒事を強要されない世界のほうが生きやすい人もいるかもしれません。
実際に今の若者の間では先ほど挙げたようなことから「離れ」が進んでいるというニュースを時折見かけます。どこかで読んだ記事なのですが、20代で異性との交際経験がない割合が4割を超えていると知ったときは衝撃でした。
それもあって、この小説がファンタジーと言い切ることはできないように思います。いつか日本がたどり着く未来なのではないか、というリアリティを帯びていて、「個」を尊重する現代人にとっては、むしろ共感する描写もあると思います。
人工授精という仕組みもそうですが、より効率的に無駄がなく、面倒がない方法へと人類が進化していく過程とも見えますね。
しかしながら、この小説で検討したいことはどんな世界がよいかということではなく、今当たり前を構築している要素を一つ一つそぎ落としていったときに残る「家族」とは?「恋愛」とは?「結婚」とは?という疑問です。
ただのSFとして読むにはもったいないです。世の中で言われていることではなく、自分の中で答えを見つけようとする営みを必要とします。
これは個人の感想ですが…
この小説を検討の実験として成り立たせるために「設定」が重要な役割を担っていますが、自分に置き換えたときに「本当にそうはならんやろ」という変なもやもやを感じました。
「こんな条件に置かれたらどうする?」というような一種の思考実験ですから、前提条件たる「設定」に文句をつけると前に進まないんですけれども、おそらくこの小説には動物としての人間の本能があまり考慮されていないように思います。
だからこそシステマティックで気味の悪い世界が確立してますね!
私たちはどこへ向かう?
物語の終盤、雨音と夫が実験都市「楽園」に移住したことにより、さらに世界は効率的にそぎ落とされていきます。
主人公の雨音の変化を通して、世界との違和感を見ていくのですが、最後のシーンでの行為はおそらく、雨音にとって自分は世界というシステムの一部ではないという唯一の抵抗だったのかもしれません。
我々は常に変わる当たり前をいつの間にか受け入れて変質していきます。
そんな不安定な「正常」への「抵抗」をもって小説は終わります。
正常ほど不気味な発狂はない。だって狂っているのに、こんなにも正しいのだから*1
多様性を認めるということはボーダーレスにすることではないですね。
そんなのは違和感です。
これから人類が向かうべき次元について少し考えてみるのもいいかもしれません。
村田沙耶香『消滅世界』,河出書房新社,2015年12月。(文庫版『消滅世界』,河出書房新社,2018年7月。ここでは文庫版を使用)
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