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逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」

 

こんにちは!小町です。

今回からサムネをテンプレに頼らないで頑張ってみることにしました。(笑)


第11回アガサクリスティー賞を受賞した逢坂冬馬さんのデビュー作

『同志少女よ、敵を撃て』、史上初の審査員全員満点をつけたことで話題になりましたね。
その後2022年本屋大賞も受賞した文句なしの傑作です。

 

あまりネタバレとかはなく私的感想を書きますが、こういう題材が苦手な方(多いと思うので…)は回れ右してください。

 

 

 

あらすじ


1942年独ソ戦が激化する情勢。

モスクワ近郊の農村に住む少女セラフィマの村はドイツ軍に襲われすべて焼かれた。

赤軍の女兵士イリーナに生かされたセラフィマは復讐の為、狙撃手となることを決意。同じ境遇の少女たちと訓練を重ね、やがて激戦地スターリングラードへと赴く。

その先で見えた真の敵とは何か。

 

背景:独ソ戦


1941年6月22日、ポーランドを共に占領し不可侵条約を結んでいたドイツとソ連でしたが、突如ドイツがソ連を奇襲。(通称:バルバロッサ作戦)ドイツの指導者ヒトラーはこの戦争を「絶滅戦争」と位置づけ、人種の生存の為敵をせん滅するまで戦うことを目標としていました。対するソ連スターリンも祖国を守る大義の為、侵略者に対して容赦しませんでした。独裁者同士の戦争は、ドイツ400~600万人、ソ連1500~3000万人の犠牲者を出し、人類史上最悪といわれる戦争へと発展したのです。


正直に言いますと、独ソ戦について全然知識がなかったので読んだ後に色々調べました。
こんなにひどい戦争だったことも知らなかったですし、何もかもをフィクションとして読むだけにしたくないと思いました。


独ソ戦前半、不意を突かれたソ連のダメージは大きく、人員確保の為女性も戦力として動員されるようになり、小説の主人公セラフィマだけではなく、実際に当時ソ連には女性兵士が少なくなかったとういうことを知りました。

祖国を守るため、自ら志願した人も多かったそうですが、戦争は女性にとってとても辛く厳しい環境だったに違いありません。
彼女たちにとって戦争は、ドイツ軍と戦いだけではなく、冷たく扱う自軍の男たちとの戦いでもありました。

この小説はそんな女性兵士たちの視点から戦争を描きます。

 

戦争と女性

 

小説でも、援軍に来た小隊が女だったと知った時の男性の反応や、基地での描写を見ても女が歓迎されているとは決して思えない様子です。

実際、女性用の服や下着、整理用品なども支給はなかったそうですし、戦後も女性の活躍は表に出されなかったといいます。


また、途中でアメリカやイギリスのプロパガンダが出てきますが、ソ連と対象的です。女は男を待つ、応援する、守られる、という像が作られるのももやもやしますけども。現代人が見たらどちらも卒倒する性差別ですが、これが戦時中です。


最初から最後まで、本当に胸糞わるかったのは、敵の女を蹂躙することで結束を強める男たちです。自国の女性が例えば、家族、姉妹、友人がそう扱われたら、そんなに笑っていられるのでしょうか。


戦争という異常な状況下では正常でいられるわけがないのも事実ですが、許されるとも思いません。

 

「兵士たちは恐怖も喜びも、同じ経験を共有することで仲間となるんだ。(中略)集団で女を犯すことは舞台の仲間意識を高めて、その体験を共有した連中の同志的結束を強めるんだよ。さっきの兵士たちもそうだ。間違いなくそういう意味合いで話していた」*1

 

 

ひとつ、「言語」に注目してみました。

言葉の通じない相手=人間ではない、犬や猫、畜生と同じように見れるのでしょう。

相手は悪魔か何かで同じ人間ではないのだから、ひどいことをしても許されると無意識に思えるのです。


セラフィマがドイツ語を理解しているとわかった時、ドイツ兵たちは狼狽しました。

情報が漏れることを恐れているというだけではなく、同じ人間だということを意識したくなかったのです。

言語政策による民族統一は有効な手段ということですね。

 

また、ドイツ兵のことを「フリッツ」、ドイツの狙撃兵を「カッコー」と呼ぶのも人と意識させないためでしょうか。

 


真の敵、何のために戦うのか


訓練の時から、教官のイリーナは少女たちに何度も問います。
「お前たちは何のために戦うのか」と。

 

「私は、女性を守るために戦います」

それが、セラフィマの思う最も正確な答えだった。*2

 


国家の敵、自分の敵、女の敵…

 

自分の信念を貫いて戦った少女たちの姿には胸をうたれるものがありました。
特に看護兵のターニャや、ドイツ兵の情婦になったサンドラの存在はセラフィマの正義を揺るがす存在となりつつも、それぞれの戦い方が描かれ、物語に厚みを生んでいます。

 

そして真の敵は何か。これは読んだ人の解釈にお任せしますが。


イワノフスカヤ村が襲われた時、セラフィマの母は猟銃で敵を撃とうとしました。
その時はよく見えなかった敵の姿。


はじめは出来なかった距離の測り方、照準の合わせ方。

厳しい訓練の末、卒業するころにはよく「距離と見え方」をとらえた様に


物語のクライマックス、

セラフィマにはスコープ越しによく見えたことでしょう。


復讐を誓った日から、銃の使い方を仕込まれ、たくさんの人を殺し、生き延びた先で目にしたのは解像度が上がった同じ光景でした。

 

≪合わせて読みたい本≫

 


世界情勢を思って


エピローグの「ロシア、ウクライナの友情は永遠に続くのだろうか」という一文にハッとさせられました。

この物語は決して私たちに無関係ではなく、現代と地続きです。
二年も続いている戦争が私たちの生活のとなりに、今もあることを深く意識せずにはいられない内容です。

 

この都市の名前の変遷が象徴するように、戦後ソ連で「スターリン」の扱いは激変した。(中略)スターリン体制が恐怖政治であったなら、それを支えて戦った自分たちは何なのだろう。*3

 

今回はあまりにも重いテーマで、長いし、レポートみたいになってしまいました…
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

 

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』,早川書房,2021年。

 

 

*1:355頁

*2:126頁

*3:470頁