読書の種を育てるブログ

本が読みたい休日のすすめ

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宇佐見りん「推し、燃ゆ」

 

こんにちは!小町です。

 

今回は、初めて拝読します!宇佐見りん『推し、燃ゆ』です。

インパクトのあるタイトルです。

推し活している人にとっては、推しの炎上なんて考えたくないですけれども。

 

 

 

あらすじ

高校生のあかりは、学校生活やバイトに馴染めず家族ともうまくいっていない。そんなあかりが人一倍力を入れていることはアイドル上野真幸を解釈することだった。ある時その「推し」がファンを殴ったと炎上してしまう。

 

生きづらさと信仰

 

最近は「推し活」という言葉も定着し、誰しも心に「推し」みたいな時代になってきましたよね。アイドルや俳優、ユーチューバー、アニメや漫画のキャラなど、対象も多岐にわたります。

推し方にもいろいろあります。

恋愛対象として好き、陰ながら応援したい、会いたい、成長を見守りたい、、、

いずれにしても、生きがいというか、心の支えというか、

こーーーーんなに生きづらくて辛い現実の日々を生き抜く糧というか。(笑)

 

この小説の主人公は生きづらさを抱えた若者です。

「推し」ている存在がいるということが、オタクと呼ばれる人たちに限ることではなくなったのもあるかもしれませんが、作者は熱狂的なファンというより、生きづらさを抱えた若者という像を主人公に設定しました。つまり単なるファンの話で終わらせるのではなく、主題が「生きる」ことに向いていると感じます。

 

主人公のあかりは、学校でも、家族ともうまくいかず、引きこもりに近い状態まで心が追い詰められてました。みんなができることができない。

病院に行くと「ふたつほど診断名がついた」ような状況です。

そんな時、こどもの頃に観た舞台「ピーターパン」のDVDを見つけ、何気なく再生したことで、運命の出会いをすることになります。

 

ピーターパンは劇中何度も、大人になんかなりたくない、と言う。冒険に出るときにも、冒険から帰ってウェンディたちをうちへ連れ戻すときにも言う。あたしは何かを叩き割られるみたいに、それを自分の一番深い場所で開いた。(中略)あたしのための言葉だと思った。*1

 

ピーターパンを演じていた子役が「上野真幸」、のちの推しでした。

 

そこから、あかりは彼を解釈することに心血を注ぐようになります。あらゆるメディアでの発言をノートに書き起こし、彼と同じ世界を見たいと思うのです。たまにその内容をブログに書いて、読んでくれるファン同士のつながりもできました。

 

先ほども挙げたように、「推し活」にもいろんな推し方があると思いますが、あかりのそれはとても宗教的な行為に思えます。

推しの言葉を書き起こし、経典のように解釈しようとする。神の教えを、見ている世界を理解したいという行為に近いのではないかと感じます。

 

実際、あかりは「上野真幸」のことを名前で呼ぶことは(特定、区別する必要があるとき以外)ほとんどありません。彼のことは「推し」と言うのです。

我々と同じ人としてではなく「神」のように崇拝する存在として意識されているのではないでしょうか。

 

また、推すことを修行のようにとれる場面も多くあります。

ストイックでなくてはいけない、一生懸命であることが求められる……そんな脅迫観念が世の中には蔓延しています。何もしていないと世間から責められているような気がして、何もしていないより何かしている方が楽なのです。

それが、仕事だったり、趣味だったりすることもあれば、宗教や信仰に向く人だっています。

 

あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在活があるという気がしてくる。*2

 

複雑な社会で、推すという行為は単純で生きやすさを与えてくれるものなのかもしれません。

 

ネバーランドの崩壊

 

この小説は本当に、ラストシーンが山場であり、すべてだなと思います。

 

どうして推しはファンを殴ったのか?

あかりはその答えを求めようとはしません。むしろ知りたくないように、無意識になのか核心に触れようとはしません。最初から「わからない」と、あくまで推しを推すだけだと、その点は解釈しようとしないのです。

 

なぜか。自分の信仰が終わってしまうからです。

ずっと、自分をネバーランドの夢のなかにいさせてくれた推しが、「殴る」という行為で、その怒りをもって、彼自身の世界を壊し、現実の、大人の世界へ行ってしまいました。ファンに怒りを向けるほど、守りたい何かが彼にもがあって、それは現実に生きる人間らしい部分と直結するものだとあかりもわかっていました。

最後には「避けていた」「引っかかって」いたと認めています。

徐々に、推しは普段言わない言葉を使ったり、「ぼく」という一人称を使ったりと変化していきます。そしてあかりは調べたマンションに行って確信します。

つまり推しがひとりの人間だということに行きついてしまうのです。

 

ラストコンサートで、推しは作詞したソロ曲「ウンディーネの二枚舌」を披露しました。人間と結婚する妖精がタイトルってそこも本当に皮肉ですが、その時あかりは「あの男の子が、成長して大人になったのだ」と理解するのでした。

 

ラストシーン、

あかりも推しと同じようにこのどうしようもない気持ちで、世界を打ち破ろうと、こぶしを振り上げます。

 

しかし、彼女にできたのは綿棒のケースをぶちまけるだけ。

自分は、自分の世界は、こんなものだと悟ります。壊したいけど、死にたいけど、どれもできない。割り切れない、半端なのが自分だとなんとなくわかってくる。

 

燃えて骨だけ。

誰しも自分の骨を自分で拾うことはできない。

 

「今がつらい」本当にそうだと思うのです。

でも。どんな姿勢でも生きていくことに向き合う若者に、

残酷だけれど、経験が新しい背骨になるように、と思います。

 

 

宇佐見りん『推し、燃ゆ』,河出書房新社,2022年9月.(文庫版『推し、燃ゆ』,河出書房新社,2023年7月.ここでは文庫版を使用)

*1:18頁

*2:84頁

中村文則「列」

 

こんにちは!小町です。

 

少し前から気になっていた中村文則さんの『列』

タイトル通り、列に並ぶ人々が描かれます。

不思議な世界設定に戸惑いつつ、

余計な要素がそぎ落とされた中でこそ人間の内面が強調されていると思いました。

 

 

 

 

あらすじ

男は列に並んでいた。先頭も最後尾も見えない奇妙な列に。

誰もこの列が何なのか、なぜ並んでいるのか、わからなかった。

ただ人よりも前にいたい、ここから離脱したくないと思いながら、苛立つ人々と発生するトラブル……そして男は、自分が何者であったか思い出すのであった。

 

列に並ぶ人々

人気のラーメン屋に、

日本初上陸ブランドのオープン日に、

好きなアーティストのグッズ購入の為に、

固執する物事に対して、私たちはたびたび「列に並ぶ」ことがあります。

 

自ら進んで並ばずとも例えば、スーパーのレジ、車の渋滞、ホームから改札へ向かうエスカレーターなど、社会のルールの中で生きている以上、日常的に「並ぶ」ことを要求されますよね。

 

それでは、こちらはどうでしょうか。

 

部活動で主力だった3年生が卒業しやっとレギュラーとなった選手。

ある社員が退職したことで空いたポスト。

辞退者が出た際に備えた補欠合格。

 

この小説の「列」は、現代社会の様々な序列のメタファーになっています。

人は意識しているかしていないかに関わらず、他人との競争に巻き込まれ、比較の中にいるのではないか。そんな人の世を象徴しています。

 

並んでいると時々見かけるのが一部の心の狭いやり取りや行動……

心当たりはございませんか?

 

なぜそこに並んでいるのかわからなくても、抜けようものなら後ろから詰められて同じ位置には戻れないし、また最後尾に並ぶなんてことは耐えられないと主人公の「私」も思うのです。

人より前にいたいという気持ちですよね。

 

彼には後ろにいて欲しかった。自分の後ろには、大勢いて欲しい。まだこんなに、後ろに人がいると思いたかった。(中略)後ろに人がいなければ、列に価値はない。*1

 

けん制し合い、ねたみ合い。

抜けてもまた別の列に並ばされていて、進んだと思っても横を見ればまた別の列の途中にいる。終わらない比較の連鎖による苦しみはよくわかります。

 

現代は特に、

SNSで他人の幸せを切り取って見れてしまうので、いやでも比べてみてしまうと思います。

 

社会を「列」に置き換えたような二次元的?な世界で、人間の浅ましさが際立って感じられ、私たちには「あなたはそれでよいのか」という問いが投げられているように思いました。

 

場面展開

この小説は、勝手に要約すると

①列に並ぶ記憶の無い「私」と列に並ぶ人々とのやり取り

②記憶を取り戻した現実世界での「私」の話

③再び列の世界に戻ってきた「私」

という3部構成になっています。

 

場面の転換には、アマゾンに生息する鳥が登場します。

 

  • ムジカサドリが見えると少し前のことを忘れてしまう
  • ケツァールが現れると何かが見えるようになる
  • ショウジョウトキが見えるとすべてを思いだす

 

という感じなのですが、鳥に詳しくなくて何の象徴なのかわかりません。

まあ仕掛けとして機能しています。

 

人間と猿

第二章で、現実の「私」が猿の研究者をしていた「草間」という人物だと判明します。

草間はなかなかポストのあかない研究職で准教授の声掛けがあるのを待っていました。

 

あの列は准教授のポスト待ちだったのでしょうか?それ以外にもいろいろ置き換えられることはありましたので、人によって捉え方が変わると思います。

 

また、「私」が列に並んでいるとき、左右に重心を移動する癖ももしかすると、自分の身の振り方や置き場が定まらないことの現れかもしれませんね。

 

草間の研究対象は「猿」なのですが、ここも面白く、

遺伝子的には猿と人間の違いは1.6%ほどしかないそうで、たったそれだけによる違いは何なのか、考えていくことで、より人間のことを理解する試みを促します。

 

人工的な餌場が、潜在的にある猿の順位や争う性質を、顕在化し、極端化することになる。私はそのような餌場での猿たちが、人間に酷く似ていると思ったのだった。*2

 

同種を殺すことに本能的・生物的な拒否感を覚えるはずだが、その感覚は「集団でいる」ことで分散し、誤魔化し薄れるのではないかと。*3

 

本能的には猿にも争う性質があることは示しつつ、開けた自然で暮らす野生の場合では生じない序列意識や同族嫌悪が、飼育という狭い世界において芽生えているといいます。

人間もそのような環境においては、競争や比較が生じざるを得ないということでしょう。

本能的な違いというより暮らす環境=社会に原因(外的要因)があると考えられます。

 

他にも草間は知性の介在を考えます。

閉ざされた世界で限られた資源を奪い合うことになる社会で、かしこい者はある時ふと、思うのです。自分が頑張るのではなく、競争相手が減ってしまえばよいのだと。知性が「悪」を生むことを草間は証明したいと思うようになります。

 

個人的に、知性は悪にもなり得るとは思いますが、同時に人生をよくする方にも作用させることができると思うのです。

「知性」と名付けられた猿がそうであったように、工夫して楽しもうとする力でもあるのではないでしょうか。

 

個人的な感想

ちなみに、列にはいろんな人が並んでいます。

特に印象に残っているのは良いことをしていれば救われると信じて足元の草を抜き続ける女性。

現実世界に置き換えてみると思い当たる気がします。なんの役に立っているかも分からないことを妄信的に続けるような……(これ以上はお察しください(笑))

 

あとは、根拠のない噂を流す男性もいました。

SNSや現実の人間関係でもこんなことする人がいるんですよね。

 

列しかない世界なのに、現実での事象を思い起こさせるような感覚が読んでいて面白かったです。

 

感じ方はそれぞれで答えがない感じですが、比喩は分かりやすいですし、説明も多いので難しい読書ではないと思います。ページ数は思ったより少なく、よく考えるとこれだけの情報量はすごいなと思いました。

 

最後に、再び鳥が頭上を飛び、記憶が薄れていく中、

「私」は地面に「楽しくあれ」と書きました。

 

現代社会の在り方や、エゴや倫理観、悪とは何かなど。

この小説から読み取る主題は、読者によって違ってくるのだろうと思います。

 

人生はどこに舵を切っても何かしらの比較や競争にさらされます。それを振り切ることはもはや難しい。

テーマパークでは何に乗るにしても列に並ぶ必要があるように、イライラしたりズルしたいとかも考えたりするでしょうが、この時間を楽しめる人でありたいですよね。

 

並ぶことを楽しめるか。

 

人生にもそんな視点が必要なのかもしれません。

 

 

 

中村文則『列』,講談社,2023年,10月.

*1:24頁

*2:69頁

*3:88頁

白川尚史「ファラオの密室」

 

こんにちは!小町です。

 

本屋さんで見かけ、表紙が綺麗で気になっていました。白川尚史さん「ファラオの密室」を読んでいきます。

第22回このミステリーがすごい!大賞でどんな謎が待っているのかワクワクしつつ、

ファラオの密室ってなんの比喩だろうかと思っていたらマジの古代エジプトでした。(笑)

唯一無二の世界観に引き込まれて、どんな謎解きになっていくのか注目です。

 

 

 

 

あらすじ

紀元前1300年代後半の古代エジプト——

死んでミイラになった神官書記のセティは、冥界の審判で心臓に欠けがあることがわかり、地上に取り戻しに行くことに。期限は3日間。自分の死の謎を追うセティだが、同時に先王のミイラが密室から失踪する事件が起こり、国を揺るがす事態に発展していく。

 

古代エジプトミステリー

舞台が完全に古代エジプトだったので前知識なしで大丈夫かな?と心配しましたが、すごいサクサク読みやすかったです。大賞にも選ばれていますのでちゃんとしたミステリーなんですが、同時に宗教改革歴史小説でもあり、異世界ファンタジーでもある面白い作品。

 

時代的には、みなさんご存じツタンカーメン!のあたりのようですね。

第18王朝のファラオ:アメンホテプ4世によって太陽神アテン神の信仰が推し進められ、古来からのアメン・ラーの信仰を妨げようとしました。

もともと、エジプトは多神教、数えきれないほどの神様がいますよね。それを太陽の形をしたアテンのみを神とするように王が定めたわけです。

背景にはアメンの神官の権力が強まったため、王の権威を高めるべく宗教的な改革が行われたということでして、これがアマルナ宗教改革といわれます。

しかしこれは多くの反発も生み、のちにアメンホテプ4世の子、ツタンカーメンによって、アメン・ラー信仰が取り戻されることになります。

 

まさにその時代が主人公セティの生きた(生き返った)時代となっています。

アメンホテプ4世(アクエンアテン)のミイラが密室の王墓から突然失踪。信仰が絡んだ国を巻き込んだ大事件が起きてしまうわけですが、その少し前に王墓の滑落事故で亡くなってしまったセティは、心臓を取り戻しに3日間生き返ることが許されます。

心臓が欠けているせいなのか、自分の死についての記憶がないセティは、関係者に話を聞きながら、失われた心臓を見つけるべく事件の真相を探していきます。

 

「じゃあ、本当に冥界から戻ってきたのか」

「ああ、そうだ」

「そうか……いや、疑って悪かったな」*1

 

このやりとりが、面白くないですか?(笑)

 

ちゃんと、「死者が生き返る」世界なんですね。落語っぽい面白さもありつつ。

死んだ主人公が自分で自分の死の謎を追うという設定で、

しかしなんでもありなファンタジーではなくて、謎解きの過程は破綻していないところにギャップがあり好印象です。

 

トリックには、エジプト神話が組みこまれていて、

(ネタバレ?オシリスの復活のあたりをなぞります!)

かつ、人の心や信仰といったところも丁寧に扱い、心が温まる話になっているんです。

3日間というリミットが設けられているのも、物語にスピード感を与えています。

 

奴隷の少女カリ

第2章から登場する奴隷の少女カリがキーパーソンです。

エジプトではなく、ハットゥシャ(トルコ南部あたり)から連れてこられた奴隷で、異邦人が故、私たち読者に近い目線でエジプトの世界観に疑問を投げてくれます。

おかげでエジプトについて詳しくなくても楽しめ、読みやすさを助けてくれる存在になっていて、死者が生き返ることにもちゃんと不思議がってくれます。(笑)

 

セティの友人でミイラ職人のタレクは彼女とセティには重なる部分があると言いました。これも大事なポイント。

この2人が力を合わせて最後の謎に挑む様子もよいですし、それぞれの親との絆もテーマになります。

 

42の否定告白

死者の書」は聞いたことがありました。

死後の世界で助けてくれるお守りみたいなものですかね。その中でも有名なことろ。

古代エジプトでは、死後「心臓」と正義と真実の神であるアマトの「羽根」を天秤にかけ、生きていたころの罪の重さをはかります。

その前のオシリスの審判で、42柱の神にそれぞれ「私は~していない」と罪を否定して自己申告していくのですが、

本来の順番とかはさておき、セティが「嘘をついていない」のところでつまずいてしまいます。これも伏線でしたね。セティには、誰にも言えない秘密があったのです。

 

2度目の生のチャンスを与えられ、大切な人達と話す猶予をもらうことができたおかげで、自分の心に正直になることができました。

 

自分の人生を生きるというのは、他人を顧みないことではない。誰を、何を大切にするかを、自分自身で決めることだ。*2

 

意外にも、心が温まる物語で、

死後の世界に思いを馳せることで今を良く生きようと思えるのかもしれませんね。

エジプト神話にも興味を持ちました!

 

 

 

白川尚史『ファラオの密室』,宝島社,2024年1月。

*1:39頁

*2:247頁

多崎礼「レーエンデ国物語」(4)夜明け前

 

こんにちは!小町です。

 

ここ最近で紹介を続けている、多崎礼さんの「レーエンデ国物語」シリーズ。

遅ればせながら、第4作目を読み終えましたのでまたまた感想を書いていきたいと思います。

 

前回は双子によって、英雄の物語が世に放たれ、ほんの少しだけ革命への希望を抱くことができるようなラストでした。

今作のタイトルは「夜明け前」

長いレーエンデの夜はもう少し続くようです。

 

 

\前回の記事はこちら/

 

comachi0438.hatenadiary.com

 

 

あらすじ

 

四大名家の嫡男レオナルド・ペスタロッチは旧市街の夏祭りで劇場の少女と出会う。愛するレーエンデのよき隣人でありたいと願うレオナルドは、真実を知り、一族が所有する銀夢草の畑を焼き払ってしまった。ペスタロッチ家に失望した彼の前に、異母妹ルクレツィア・ダンブロシオ・ペスタロッチが現れたことで、2人の運命が動き出す。

 

生まれたのは英雄ではなく悪役

 

前作から再び100年の時が流れ、レーエンデ史上最悪の時代がある少女によってもたらされました。

その少女というのが第八代法皇帝ヴァスコの娘、ルクレツィア・ダンブロシオ・ペスタロッチです。

 

しかし、幼いころの彼女はかわいそうな子供でした。

父のヴァスコに愛されることは無く、その父にシャイア城から落とされたルクレツィアは、なんとか命は助かりましたが、足に障害を抱えることとなります。また彼女を逃がそうとした母は父親の狂気に冒されてしまいます。

 

その後、ペスタロッチの屋敷で世話になることとなり、異母兄レオナルドと出会いました。

最初は、父親に似たレオナルドに近づこうとしないルクレツィアでしたが、彼のやさしさやレーエンデのために働く真剣な姿に、心を開いていきます。

そして、レオナルドも妹を慈しみ大切に想いながら、成長していくのでした。

 

前半は、レオナルドとルクレツィア2人の生い立ちと出会い、心を通わせるまでの過程が丁寧に描かれます。同じ父親ですが、別々の境遇に生まれた二人。共通点は泡虫の声が聞こえることでした。

 

後半は、再び訪れたシャイア城での出来事をきっかけに、自分の役割を全うすべく別々の道を歩むことを決意した二人が交互に描かれていきます。

 

レーエンデを救うため、そして神の子を原始の海へと還すため。

 

レーエンデは立ち上がらなくてはいけません。

そのためには討たれるべき悪役が必要でした。

 

「これは安穏と飼われてきたレーエンデ人の罪でもあります。真の自由を得るためにはレーエンデ人が奮起して、その血を流して戦わねばなりません」*1

 

革命はまだかと期待する4作目でしたが、こんなにつらい道を歩まねばならないのでしょうか…。

十代の少女が担うにはあまりにも重すぎる運命です。

 

聡明な少女と、佳き心の青年だったからこそ、2人は互いを信じることができ、互いだけが救いだったのだと思います。

 

神の子

シャイア城にて、ついに神の子の姿が登場します。

一作目に、奪われてからどれだけの時を苦しんでいるのでしょうか。

エールデの痛ましい姿に苦しくなります。

その傍にカバネガラスが1羽—

 

エールデが心折れないよう、レーエンデを恨まないよう声をかけ続けているのですが、これはきっと彼でしょうね。

とっても心が熱くなりました。

 

夜明けへの道

まさかの始祖ライヒ・イジョルニと話す場面があり、ルクレツィアは自分の生まれた意味を悟ります。

本来は、英雄としての運命を背負っていたテッサがエールデを救うのが想定された最善の未来でした。

しかしそれが叶わず、悪役の登場が待たれたのです。

 

レオナルドと平穏に過ごしたかったであろう少女は、想像を絶する覚悟でその人生を全うしました。

後世に、悪名だけが残った彼女の本当の心を知ることはできません。

ただ、レオナルドだけは彼女が最後の求めに応えることができました。

彼にはやるべきことがまだあります。このあとが本当の戦いとなっていくのでしょう。

 

夜明け前が一番暗い。

 

レーエンデは、レーエンデの人々は、ここからひとつになることができるのでしょうか。

 

正義はひとつではない。人間が唱える正義は立場によって異なる。数多の正義が潰し合うことなく同時に存在すること。それこそが平和の証明なのかもしれない。*2

 

個人的に救われないなと思ったのは、スティファノです。

レーエンデを見下し、自分の本当の気持ちを最後まで出すことができず利用され続けた彼を不憫に思います。イジョルニ人ですが、ある意味で環境が作ったかわいそうな子だったかもしれません。

 

次で最終巻ということになるそうですが、彼みたいな人も救われてほしいですね。

 

ずっと追いかけてきましたレーエンデの長い革命の物語はどんな結末を迎えるのか。

とても待ち遠しいです。

 

 

 

多崎礼『レーエンデ国物語 夜明け前』,講談社,2024年4月。

 

 

 

*1:305頁

*2:566頁

株主優待で本をゲット!?

 

こんにちは!小町です。


今回は息抜き記事です。

 


KADOKAWA株主優待が届きました!

 


昔から本が大好きですが、

毎回新刊を買っていますと私のお財布事情でははすっからかんになってしまうので、図書館も利用しつつ…

 

そこで本好きに嬉しい優待があるんです!

(資産運用ブログではないので端折ります)

 

KADOKAWAの株を保有していると、

継続年数や株式数に応じてポイントが付与され、そのポイントを株主がカタログから好きな自社商品・サービスなどに換えることができます!

 

もちろん!本ですよ!本!

嬉しい!わーい!

 


届いたカタログの商品を数えてみると…


コミック、書籍が272冊。

子ども向け絵本から新字源まで(笑)

さすがKADOKAWAですので、新書やラノベも充実。全巻セットなども3つ用意がありました。

映像作品Blu-ray、DVDが29作品、

ゲームも29作品、

寄付や商品券、映画や電子書籍のギフト券、ニコニコポイントやグッズにも変えることもでき、

 

合計なんと345の選択肢‼️

 

…すごい!

 


読書ブログをしていますので、私はもちろん書籍から選びますけれども、かなり悩みました。(笑)


申し込みはスマホ一つでできて楽ちんです。

 

やっとセレクトして、
\\届いた本がこちら//

f:id:comachi0438:20240721163439j:image

 

ずっと気になっていました。

「知りたいこと図鑑」

これ本当に素敵でございました。

知識になりデザインとして目でも楽しめる。本棚にあってほしい一冊です。

 

 


もう一冊は、白井智之さんの

「エレファントヘッド」

 

 

こちらは別の記事で改めて書いていこうと思います!


今回はこんな感じで。

 

優待が長く続きますようにと思います。

 

そして、

出版業界が盛り上がりますよう。

業界の皆さま、応援しております!

 

 

今村翔吾「塞王の楯」

こんにちは!小町です。

 

久々の歴史小説で、今村翔吾さんの「塞王の楯」を読みました。

552ページはだいぶボリューミーでしたね。

更新が滞っていますが……決して読むのに時間がかかったわけではないです。怠慢です。(笑)

 

 

 

ハードカバーは重くて持ち運びにくかったのですが、先日待望の文庫版が出ておりますので、こちらも。

 

 

 

 

あらすじ

越前・一乗谷城から逃げる幼い匡介は石垣職人の源斎に助けられ、穴太衆(飛田屋)の後継者として成長していた。人々を守る「最強の楯」となる石垣があれば戦をなくせると考え己の技を磨く匡介と、「至高の矛」たる鉄砲が戦の抑止力になると信じて作り続ける国友衆の彦九郎は、大津城を舞台についにぶつかりあう。

 

最強の楯VS至高の矛

歴史エンタメ小説は数あれど、職人にフォーカスしたものでここまで面白いものはなかなか珍しいのではないか。

戦国、お城好きにはたまらない内容で、読み始めるとあっという間に読了です。

 

時代は戦国。秀吉が死に混乱が広がる中、大津城の改修依頼を受けた匡介はそこで人柄の良い京極高次とその妻お初たちと縁ができる。のちの戦で懸を依頼され、籠城し人々を守る戦いがクライマックスになっていきますが、

まず、この「懸」という言葉に馴染みがなく、実は作者の作った言葉のようです。

石垣職人たちが戦いの最中にも修復作業をしていたという話から、これを「懸」(かかり)という言葉にしたそうなんですね。

 

メインとなる大津城の戦いはスピード感ある攻防戦で描かれ、視点が攻守切り替わることで、より守る側(城方)と攻める側(寄せ手)のいずれの気持ちや策略にも思いをはせることができます。

 

匡介も彦九郎も泰平の世を目指して技術を磨く職人であることに変わりありませんが、真逆の道をすすみ、相いれないにもかかわらず、お互いにしかわからない苦悩を共有しているような関係にも感じます。

 

そして大津城の戦いにて、最後まで資力を尽くして仕事を全うした先に、「矛も楯も両方必要」だったのだと2人が至ったのも悪くない終わり方だと思います。

 

対立関係は石垣と鉄砲、匡介と彦九郎だけではなく。

後に天下分け目となる関ケ原の戦いの前哨戦とされる戦いで、大津城で迎え撃つのは蛍大名と呼ばれる京極高次、対するは西国最強・立花宗茂が攻め手の中心です。

世を渡る方法や持っている才は違えど、2人とも筋の通った人物で、好感が持てたので、余計にどっちにも負けてほしくない気持ちで読んでおりました。

 

 

石垣を強くするもの

石垣は外からの攻撃には強さを発揮しますが、内からは弱い。

単に、構造や強度の話ではなく、城の中にいる人々の気持ちが石垣の強さと呼応していく伏線だったのだと思います。

 

—俺たちだけじゃあない。(中略)

—何としても家族を、この地を守りたいという人の心が、石垣に魂を吹き込む。*1

 

 

どれだけ守りを固めても、人の心がひとつでないと本来の守りができない。石垣を最強にするのは、人の想いなのだと感じられました。

どうしても戦国時代となると、武将たちの活躍に目がいきがちですが、そこに生きている大部分は農民や職人といた民衆たちです。

その人々の心が強く一つになっていく様子はとてもよく、それこそが最強の楯でした。

 

そして、石垣積みには要石というものがあり、これがダメになってしまうと直すことができなくなるものだそう。大津城の戦いにおいて、要石の役割にあったのはやはり京極高次だったのではないかと思います。

 

石垣というものは大小様々な石によって成り立っている。形もまた様々である。幾ら丸く整った石でも場所によては役に立たず、歪で不恰好な石でも要として役立つこともある。それぞれに最も力を発する、意味のある場所があるのだ。*2

 

 

大筋のストーリーはもちろん、主人公の匡介の修行を通して石垣作りに対する学びを得られたのも充実した読書になったなという感想です。

 

私もお城巡りが趣味の一つなので、次にお城に行くのが楽しみでしかたないですね。

 

 

 

今村翔吾『塞王の楯』,集英社,2021年10月。

 

 

*1:531頁

*2:415頁

朝井リョウ「スター」

こんにちは!小町です。

今回は朝井リョウさんの「スター」です。

社会の言い表しにくい部分を小説に表現してくれるのがお見事だと思っています。

 

 

 

 

あらすじ

大学生で映画祭のグランプリを受賞した立原尚吾と大土井鉱。

二人は卒業後、それぞれ名監督へ弟子入りと動画配信という別々の道を歩む。作品の価値や良さは何が決めるのか。アマとプロ、本物と偽物、変化する時代をどう考えるか。

 

価値観が、生き方が、稼ぎ方が、多様な時代

 

インターネットの普及からSNS、動画サービスなどを通じ、誰もが発信することができる時代。

学生シンガーソングライターや、小学生ユーチューバーがどんどん出てきていますよね。

若い才能って本当にすごいなと思うのは本心としてありますが、一方で、映画やドラマ、音楽、書籍、ファッション、食べ物に至るまで、

誰かが「よかった!」と発信したものが流行するだけの世の中になってしまったような気がしています。

そんな何とも言えない感覚を上手く言い当ててくれているのが、この作品だと思いました。

 

小説で取り扱っているテーマは映像作品ですが、いろんな問題に置き換えて考えられることだと思います。

熟練の技術者の仕事がどんどんインスタント化され、映画をファストにした動画が流行り、インスタでおすすめ○○選と紹介された商品を買い、いたずらに消費をする人々の図式が感じられるのです。

もちろん、なんでも手頃で生活が便利になった面もありますし、すべてが粗悪だとは言いませんが、問題はものの質に求めているのではなく、私たち自身の問題です。

私たちは本当に自分の目で耳で感覚で、物事をとらえ、評価できているのかということだと思います。

 

「待つ。ただそれだけのことが、俺たちはどんどん下手になっている」*1

 

「答えのないことを考えていられる時間って、本当に贅沢なんだよ」*2

 

そんな時間をタイパが悪いと、切り捨てていませんでしょうか。

忙しさの中で忙殺されていませんでしょうか。

答えが出せないことに自分自身で向き合う営みが、本当は生きる中で一番大事なことだと思うのです。

 

でも、今の世の中、理想だけでも生き残れないという面もしっかり描かれているのが良いところで、この小説を読むことが、答えのない問題と向き合う営みになっていると感じます。

 

表現について

 

表現としては、目薬のメタファーだったり、電車や駅が場面に合わせて効果的に使われていると思いました。分岐する行先や、先に降りていく先輩、しらない場所へ行く線、など、注目してみてもいいかもしれません。

 

また、尚吾の彼女とのやり取りやその変化もとても良い場面だなと思います。

「食」にかかわる仕事をする彼女だからこそ、思うことがあって、尚吾にも気づきを与えてくれる存在です。

 

それぞれの生き方

主人公の尚吾は本物の映画作りを目指して邁進していくのですが、プロの道は長くつらいものですし、お金が稼げるようになるのはほんのひと握りという世界です。

その道から降りていった人たちも小説の中にはたくさん登場します。

自分の好きなことや理想を追い求められる時間には、限りがあって、生活や家族のためには、芸術性よりも生産性を求めるようになるしかなくなるのです。それが大人になるということなんでしょうか……。

 

一方で、素人でもやり方で大金を稼げる時代だからこそ、本物からのお墨付きが求められることもありますよね。

相反する側面を主人公の二人が体現している感じ。

 

また、2人それぞれ、祖父と父から言われた言葉をずっと意識していて、

「質の良いものに触れろ」

「よかて思うものは自分で選べ」

どちらも大事なことだと思いますが、2人してその言葉にとらわれすぎているんですよ。人生の指針ではありますが、自分がそれをなぜ正しいと、信じたいと思うのかという理由のほうが重要かもしれません。

 

何事も一つの物差しで測れる良し悪しではないこと、自分の軸で、良いものを見極められる自分だけの感覚を持つことが大切なのかもしれないと私自身は考えました。

 

そして、それぞれの生き方がすべて正解と思える世の中であるといいですね。

 

 

 

 

朝井リョウ『スター』,朝日新聞出版,2020年10月。

*1:299頁

*2:206頁