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宇佐見りん「推し、燃ゆ」

 

こんにちは!小町です。

 

今回は、初めて拝読します!宇佐見りん『推し、燃ゆ』です。

インパクトのあるタイトルです。

推し活している人にとっては、推しの炎上なんて考えたくないですけれども。

 

 

 

あらすじ

高校生のあかりは、学校生活やバイトに馴染めず家族ともうまくいっていない。そんなあかりが人一倍力を入れていることはアイドル上野真幸を解釈することだった。ある時その「推し」がファンを殴ったと炎上してしまう。

 

生きづらさと信仰

 

最近は「推し活」という言葉も定着し、誰しも心に「推し」みたいな時代になってきましたよね。アイドルや俳優、ユーチューバー、アニメや漫画のキャラなど、対象も多岐にわたります。

推し方にもいろいろあります。

恋愛対象として好き、陰ながら応援したい、会いたい、成長を見守りたい、、、

いずれにしても、生きがいというか、心の支えというか、

こーーーーんなに生きづらくて辛い現実の日々を生き抜く糧というか。(笑)

 

この小説の主人公は生きづらさを抱えた若者です。

「推し」ている存在がいるということが、オタクと呼ばれる人たちに限ることではなくなったのもあるかもしれませんが、作者は熱狂的なファンというより、生きづらさを抱えた若者という像を主人公に設定しました。つまり単なるファンの話で終わらせるのではなく、主題が「生きる」ことに向いていると感じます。

 

主人公のあかりは、学校でも、家族ともうまくいかず、引きこもりに近い状態まで心が追い詰められてました。みんなができることができない。

病院に行くと「ふたつほど診断名がついた」ような状況です。

そんな時、こどもの頃に観た舞台「ピーターパン」のDVDを見つけ、何気なく再生したことで、運命の出会いをすることになります。

 

ピーターパンは劇中何度も、大人になんかなりたくない、と言う。冒険に出るときにも、冒険から帰ってウェンディたちをうちへ連れ戻すときにも言う。あたしは何かを叩き割られるみたいに、それを自分の一番深い場所で開いた。(中略)あたしのための言葉だと思った。*1

 

ピーターパンを演じていた子役が「上野真幸」、のちの推しでした。

 

そこから、あかりは彼を解釈することに心血を注ぐようになります。あらゆるメディアでの発言をノートに書き起こし、彼と同じ世界を見たいと思うのです。たまにその内容をブログに書いて、読んでくれるファン同士のつながりもできました。

 

先ほども挙げたように、「推し活」にもいろんな推し方があると思いますが、あかりのそれはとても宗教的な行為に思えます。

推しの言葉を書き起こし、経典のように解釈しようとする。神の教えを、見ている世界を理解したいという行為に近いのではないかと感じます。

 

実際、あかりは「上野真幸」のことを名前で呼ぶことは(特定、区別する必要があるとき以外)ほとんどありません。彼のことは「推し」と言うのです。

我々と同じ人としてではなく「神」のように崇拝する存在として意識されているのではないでしょうか。

 

また、推すことを修行のようにとれる場面も多くあります。

ストイックでなくてはいけない、一生懸命であることが求められる……そんな脅迫観念が世の中には蔓延しています。何もしていないと世間から責められているような気がして、何もしていないより何かしている方が楽なのです。

それが、仕事だったり、趣味だったりすることもあれば、宗教や信仰に向く人だっています。

 

あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在活があるという気がしてくる。*2

 

複雑な社会で、推すという行為は単純で生きやすさを与えてくれるものなのかもしれません。

 

ネバーランドの崩壊

 

この小説は本当に、ラストシーンが山場であり、すべてだなと思います。

 

どうして推しはファンを殴ったのか?

あかりはその答えを求めようとはしません。むしろ知りたくないように、無意識になのか核心に触れようとはしません。最初から「わからない」と、あくまで推しを推すだけだと、その点は解釈しようとしないのです。

 

なぜか。自分の信仰が終わってしまうからです。

ずっと、自分をネバーランドの夢のなかにいさせてくれた推しが、「殴る」という行為で、その怒りをもって、彼自身の世界を壊し、現実の、大人の世界へ行ってしまいました。ファンに怒りを向けるほど、守りたい何かが彼にもがあって、それは現実に生きる人間らしい部分と直結するものだとあかりもわかっていました。

最後には「避けていた」「引っかかって」いたと認めています。

徐々に、推しは普段言わない言葉を使ったり、「ぼく」という一人称を使ったりと変化していきます。そしてあかりは調べたマンションに行って確信します。

つまり推しがひとりの人間だということに行きついてしまうのです。

 

ラストコンサートで、推しは作詞したソロ曲「ウンディーネの二枚舌」を披露しました。人間と結婚する妖精がタイトルってそこも本当に皮肉ですが、その時あかりは「あの男の子が、成長して大人になったのだ」と理解するのでした。

 

ラストシーン、

あかりも推しと同じようにこのどうしようもない気持ちで、世界を打ち破ろうと、こぶしを振り上げます。

 

しかし、彼女にできたのは綿棒のケースをぶちまけるだけ。

自分は、自分の世界は、こんなものだと悟ります。壊したいけど、死にたいけど、どれもできない。割り切れない、半端なのが自分だとなんとなくわかってくる。

 

燃えて骨だけ。

誰しも自分の骨を自分で拾うことはできない。

 

「今がつらい」本当にそうだと思うのです。

でも。どんな姿勢でも生きていくことに向き合う若者に、

残酷だけれど、経験が新しい背骨になるように、と思います。

 

 

宇佐見りん『推し、燃ゆ』,河出書房新社,2022年9月.(文庫版『推し、燃ゆ』,河出書房新社,2023年7月.ここでは文庫版を使用)

*1:18頁

*2:84頁