読書の種を育てるブログ

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中村文則「列」

 

こんにちは!小町です。

 

少し前から気になっていた中村文則さんの『列』

タイトル通り、列に並ぶ人々が描かれます。

不思議な世界設定に戸惑いつつ、

余計な要素がそぎ落とされた中でこそ人間の内面が強調されていると思いました。

 

 

 

 

あらすじ

男は列に並んでいた。先頭も最後尾も見えない奇妙な列に。

誰もこの列が何なのか、なぜ並んでいるのか、わからなかった。

ただ人よりも前にいたい、ここから離脱したくないと思いながら、苛立つ人々と発生するトラブル……そして男は、自分が何者であったか思い出すのであった。

 

列に並ぶ人々

人気のラーメン屋に、

日本初上陸ブランドのオープン日に、

好きなアーティストのグッズ購入の為に、

固執する物事に対して、私たちはたびたび「列に並ぶ」ことがあります。

 

自ら進んで並ばずとも例えば、スーパーのレジ、車の渋滞、ホームから改札へ向かうエスカレーターなど、社会のルールの中で生きている以上、日常的に「並ぶ」ことを要求されますよね。

 

それでは、こちらはどうでしょうか。

 

部活動で主力だった3年生が卒業しやっとレギュラーとなった選手。

ある社員が退職したことで空いたポスト。

辞退者が出た際に備えた補欠合格。

 

この小説の「列」は、現代社会の様々な序列のメタファーになっています。

人は意識しているかしていないかに関わらず、他人との競争に巻き込まれ、比較の中にいるのではないか。そんな人の世を象徴しています。

 

並んでいると時々見かけるのが一部の心の狭いやり取りや行動……

心当たりはございませんか?

 

なぜそこに並んでいるのかわからなくても、抜けようものなら後ろから詰められて同じ位置には戻れないし、また最後尾に並ぶなんてことは耐えられないと主人公の「私」も思うのです。

人より前にいたいという気持ちですよね。

 

彼には後ろにいて欲しかった。自分の後ろには、大勢いて欲しい。まだこんなに、後ろに人がいると思いたかった。(中略)後ろに人がいなければ、列に価値はない。*1

 

けん制し合い、ねたみ合い。

抜けてもまた別の列に並ばされていて、進んだと思っても横を見ればまた別の列の途中にいる。終わらない比較の連鎖による苦しみはよくわかります。

 

現代は特に、

SNSで他人の幸せを切り取って見れてしまうので、いやでも比べてみてしまうと思います。

 

社会を「列」に置き換えたような二次元的?な世界で、人間の浅ましさが際立って感じられ、私たちには「あなたはそれでよいのか」という問いが投げられているように思いました。

 

場面展開

この小説は、勝手に要約すると

①列に並ぶ記憶の無い「私」と列に並ぶ人々とのやり取り

②記憶を取り戻した現実世界での「私」の話

③再び列の世界に戻ってきた「私」

という3部構成になっています。

 

場面の転換には、アマゾンに生息する鳥が登場します。

 

  • ムジカサドリが見えると少し前のことを忘れてしまう
  • ケツァールが現れると何かが見えるようになる
  • ショウジョウトキが見えるとすべてを思いだす

 

という感じなのですが、鳥に詳しくなくて何の象徴なのかわかりません。

まあ仕掛けとして機能しています。

 

人間と猿

第二章で、現実の「私」が猿の研究者をしていた「草間」という人物だと判明します。

草間はなかなかポストのあかない研究職で准教授の声掛けがあるのを待っていました。

 

あの列は准教授のポスト待ちだったのでしょうか?それ以外にもいろいろ置き換えられることはありましたので、人によって捉え方が変わると思います。

 

また、「私」が列に並んでいるとき、左右に重心を移動する癖ももしかすると、自分の身の振り方や置き場が定まらないことの現れかもしれませんね。

 

草間の研究対象は「猿」なのですが、ここも面白く、

遺伝子的には猿と人間の違いは1.6%ほどしかないそうで、たったそれだけによる違いは何なのか、考えていくことで、より人間のことを理解する試みを促します。

 

人工的な餌場が、潜在的にある猿の順位や争う性質を、顕在化し、極端化することになる。私はそのような餌場での猿たちが、人間に酷く似ていると思ったのだった。*2

 

同種を殺すことに本能的・生物的な拒否感を覚えるはずだが、その感覚は「集団でいる」ことで分散し、誤魔化し薄れるのではないかと。*3

 

本能的には猿にも争う性質があることは示しつつ、開けた自然で暮らす野生の場合では生じない序列意識や同族嫌悪が、飼育という狭い世界において芽生えているといいます。

人間もそのような環境においては、競争や比較が生じざるを得ないということでしょう。

本能的な違いというより暮らす環境=社会に原因(外的要因)があると考えられます。

 

他にも草間は知性の介在を考えます。

閉ざされた世界で限られた資源を奪い合うことになる社会で、かしこい者はある時ふと、思うのです。自分が頑張るのではなく、競争相手が減ってしまえばよいのだと。知性が「悪」を生むことを草間は証明したいと思うようになります。

 

個人的に、知性は悪にもなり得るとは思いますが、同時に人生をよくする方にも作用させることができると思うのです。

「知性」と名付けられた猿がそうであったように、工夫して楽しもうとする力でもあるのではないでしょうか。

 

個人的な感想

ちなみに、列にはいろんな人が並んでいます。

特に印象に残っているのは良いことをしていれば救われると信じて足元の草を抜き続ける女性。

現実世界に置き換えてみると思い当たる気がします。なんの役に立っているかも分からないことを妄信的に続けるような……(これ以上はお察しください(笑))

 

あとは、根拠のない噂を流す男性もいました。

SNSや現実の人間関係でもこんなことする人がいるんですよね。

 

列しかない世界なのに、現実での事象を思い起こさせるような感覚が読んでいて面白かったです。

 

感じ方はそれぞれで答えがない感じですが、比喩は分かりやすいですし、説明も多いので難しい読書ではないと思います。ページ数は思ったより少なく、よく考えるとこれだけの情報量はすごいなと思いました。

 

最後に、再び鳥が頭上を飛び、記憶が薄れていく中、

「私」は地面に「楽しくあれ」と書きました。

 

現代社会の在り方や、エゴや倫理観、悪とは何かなど。

この小説から読み取る主題は、読者によって違ってくるのだろうと思います。

 

人生はどこに舵を切っても何かしらの比較や競争にさらされます。それを振り切ることはもはや難しい。

テーマパークでは何に乗るにしても列に並ぶ必要があるように、イライラしたりズルしたいとかも考えたりするでしょうが、この時間を楽しめる人でありたいですよね。

 

並ぶことを楽しめるか。

 

人生にもそんな視点が必要なのかもしれません。

 

 

 

中村文則『列』,講談社,2023年,10月.

*1:24頁

*2:69頁

*3:88頁